KEYWORD : #言葉
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武田
コピーライターなので、まず「言葉」からいきたいと思います。僕は小説や詩が好きで、学生の頃は自分でも書いたり、詩人の先生から教えてもらったりしていました。影響を受けた作家は村上龍や遠藤周作などですかね。本を通じて社会や文化への意識が変わったりする瞬間や、言葉から浮かび上がる情景に心が動かされたりすると、自分も誰かに影響を与えられるような文章が書きたいと思ったものです。広告のコピーも時に世の中の固定観念や常識を覆し、未来を創っていけるものだと思いますが、多田さんはどう思われますか?
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多田
自分も読書が趣味で。詩も好きですね、中原中也が好きです。でも…。小説とか詩における言葉と同等に広告の言葉というものを取り上げるとすると、自分はそこにコンプレックスを感じるんですよね。「広告なんて…」って思っちゃうから。
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武田
そもそも生み出す理由とか魂胆は、純粋な創作と広告では違いますね。マーケティングのための言葉がコピーですので。
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多田
広告屋の分際で、詩人のつもりになったら自分は嫌だなと。でも求めているんですけどね。CMや映像でも映画に追いつきたいと思う。でも、ずっと不遜だなとも思っている。「本や詩が好き」の延長で広告を考えることにコンプレックスがあるんですよね。できたらいいなと思うけど、どこか違うんだろうなと。吸収することは必要だけどね。詩人の言葉はかけがえのないもの。でも、広告屋としての言葉は一種の道具だから。
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武田
そうですね。ただ、とても機能的な道具かなと。例えば、言葉で想像させることは、未知の体験をもたらします。デジタルが進んだ世の中でも、実は言葉だけで五感の刺激を伴うメタバース的な体験を与えることだってできます。
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多田
そう、広告の中で最も機能するのは言葉。人に対していい影響を及ぼす言葉をなんとか広告の中であろうとも生み出したいと思いますね。言葉で思い出したけど、広告の言葉なのに小説や詩と肩を並べられると思ったのが開高健さん。サントリーのウイスキーの一連の広告。「人間」っていう言葉を使ったり、「火でありながら灰を生まない。」なんて、真似したってああはならない。広告を超えるっていうのはそういうことなのかな。もう何十年と経っているけど、超えられるものは未だ出てきていない。
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武田
開高さんはコピーライターであり、小説家、従軍記者もされ、いろんな文化に造詣が深い。今の時代は言えないかもしれないですけど、男らしさをにじませる方ですよね。
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多田
生き方が凄まじいから出てくる言葉が違うんだろうね。言葉は絞り出すものだから。なければ出てこない。あそこまでの人だから、小説でも広告だとしても、人は感動するんだろうな。未来に素晴らしい言葉を残すなら、それなりの生き方をしないと。広告だけで生きていたらきっと出てはこないんでしょうね、その人から絞り出てくるエキスは。
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多田
次は自分の番ですね、じゃあ「記憶」でいきましょうか。
今でも未来でも大事なのは、オリジナリティだと思っていて。いろんなものを見たり、触れたりするのは大事なことなんだけど、やっぱり考えるものってそれまでに見た何かに似てくるんですよね。若いクリエイターからは、どうやればオリジナルになるのかと相談されることもありますが、自分は一番オリジナルになりやすいのは「記憶」だと思っているんです。 -
武田
記憶ですか。自分が経験したことが一番の源泉になるということでしょうか?
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多田
そう。例えば、旅だとする。広告を作ろうとしたら、旅に関する表現やいろんなものを見るわけだけど、行き着くところは既視感のあるものになってしまう。そこを探らないで、自分の旅の「記憶」を掘る。小学生の頃、大学生の頃はどんなシーンがあったか。そこに誰がいて、どんな時間だったか。そういう、しまわれた記憶をたどってみる。記憶って奥の引き出しに入っているから、思い出そうとしてもなかなか出てこないんだけど。それを引き出して何かに置き換えれば、オリジナルのストーリーになる。自分がどう接していたか、その記憶がオリジナルになる。
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武田
市場調査で共感できるものを探って、共感値が高いものを表現するのもあるんでしょうけど、それだけじゃダメなんですね。以前、ある大学で講義をしたときに、視点や価値観を導くには、自分の想いや経験、疑問、両親や友達との出来事を大切にしてくださいと言ったことを思い出しました。自分の内にあるものからなら、ユニークなものが生まれやすい。それは武器になるかもしれませんよね。
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多田
何かの掛け合わせによって生まれるものはあるでしょう。けど、それって待たないといけない。他力本願みたいだし。それをやらずとも、一番簡単に手に入るものだから、記憶は使ったほうがいいのかなと思いますね。
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武田
多田さんとお話できることが決まってから、いつもどうストーリーを創られているのか伺ってみたいとずっと思っていまし た。多田さんのCMはストーリー性がとても豊かで、何度も見たくなります。CMも長編も大変おもしろいです。
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多田
広告の作り方については、同業の連中ともよく話すんですけど、自分はちょっとアプローチが特殊なんだろうなと思います。例えば、この水が商品だとして。たぶんコピーライターはこの水がどういう商品なのかを規定する。なんとかの水です、こういうときに飲む水です、こういう気分になれる水です、とか。商品を真ん中にして同心円状に広げて考える。でも、僕は今、自分の関心のある事柄を起点にして円を作るんです。そうして考えていくと、水のほうから広がる円とどこかの瞬間に重なるんですね。集合の関係を円で表すベン図を描くみたいに。そうやってストーリーを考えていくこともあります。
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武田
自分の関心事の円ですか。2023年度TCC賞大和ハウス工業のCMではこれまで多くの広告で描かれるステレオタイプの家族像ではなく、こういう家族の在り方もあるんだというような新しい家族像にぐっと惹きつけられました。多田さんのインタビューでは「およそフィクションと呼ばれるものは、映画も含めてすべて本当ではない「嘘」だ。時々そんな「嘘」のひとつが「本当」にしか見えない、という瞬間がある。「嘘」が「本当」を掴まえに来るのだ」と書かれており、フィクションの魅力や価値を再認識いたしました。僕も自分の円というものを意識して、到底及びませんが考えてみたいと思います。
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多田
でもそれは危険で、重ならないことが多々あって、全く分からないものになったりしますよ。あとは、好きな映画のシーン、セリフとか。自分がそこでなぜ心を動かされたのか、を探ったり。自分を動かした根っこみたいなものからストーリーを考えたりします。詩人ならパッと言葉で出てくるんでしょうけど、それがなかなかできないから。自分はそうしてCMや映像のストーリーにして、ある一点を伝えようとしているのかな。