KEYWORD : #戦略
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多田
「戦略」って何だと思います?
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武田
広告業界では一番使われる言葉ですよね。どうすれば目的を達成できるのか、戦に勝つために作図することでしょうか。
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多田
そう、広告ではみんな戦略好きじゃない? サッカーでもよく聞くけど、それって勝つための手段だよね。でも今、広告で行われているのは、戦略のための戦略にしか見えなくて。本当に勝つ戦略なのかっていうものが多いような気がする。調査します、分析します、仮説を立てます…。でも勝ちたかったら、違うんじゃない?って。どうすれば勝てるのかっていうところが抜けている気がする。
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武田
戦略を分析しているに過ぎない、と? 確かに戦略を立てて、それが画期的な結果をもたらしたというような経験は 少ないかもしれません。大胆な戦略を採れず、あまり変わらないなと思うこともあります。
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多田
たぶん、広告で勝つんだったら他社と同じことをしても勝てないじゃない? いかに違うアプローチをするか。何でわざわざ、勝機を逃すのか。囲碁みたいに陣取り合戦するんだけど、わざわざ密集しているところに行って獲られちゃう。一番シンプルな初動が、分析のほうに行き過ぎている。戦略のパターンを作ることに時間を費やし過ぎているように感じるんです。
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武田
定石みたいなものがあれば、それを真似たり。勝つよりも負けないこと。リスクを負いたくないという大企業の心情も分かりますが。
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多田
でも、戦いだから負けることもあるんだよね。それはしょうがない。10敗していたものが1勝する、その価値が大事で。負けない戦略はいつまでも勝ちにはならない。
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武田
そこに踏み込む勇気がなかなか持てないのでしょうか。新しいことに踏み出すには勇気がいる場合があります。
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多田
勇気なのかな?
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武田
クライアントはやったことがないことには、保証とか求めてくるじゃないですか。「何か事例はありますか?」とか。
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多田
事例を参考にした瞬間、もう負けなんだけどね。「事例」=「勝つ」じゃない。
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武田
例えば、フォルクスワーゲンやアップルなどレジェンドとなっている広告は、大胆な戦略やメッセージで新しい概念を提示し成功しました。固定観念を壊していこうというような大胆な戦略を採るためには、企業のキーマンとどう話したらいいでしょうか?
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多田
スティーブ・ジョブズや孫正義さんみたいに、その人自体が革新的なら、その人を具現化する広告でいいけど、みんながみんなそうじゃない。ナイキはもしかしたら単なる靴メーカーにとどまってしまっていた可能性もあったけど、そこに精神を語ってきた。きっと広告を提案された方もそんなことは思ってなかったんじゃないかな。「確かにそうかもしれない」「この選択で自社が変われるかもしれない」と思わせることができたから採用されたんでしょうね。
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武田
なるほど、思わせる力ですか。プレゼン力、いや企画力や中身でしょうか。
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多田
時代のせいにしちゃだめなのかも。クリエイティブ側の力があれば。それって「発見」があるかだと思うんだけど。意外とそばにあって気付かなかったことだったり。2004年ごろに、ネスカフェの広告で「朝のリレー」ってありましたよね。コーヒーは多くの人が飲むし、朝のイメージを持っているのではないでしょうか。誰でも知ってるもの。でも、そこで谷川俊太郎さんの詩が違う朝をもたらしてくれた。朝はリレーして手渡されるものなんだと。「えっ!?」ってなりましたよね。当たり前のことなんだけど。自分も遠い国の人とつながる気持ちになる。それが新しい。例えばそういう発見。みんなが気付かなかったことを見つければ、変わることができるんじゃないかな。
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武田
僕は小学生の子どもがいるんですが、自分の幼い頃を振り返ってみても、子どもの頃の価値観が今を創っているんだなと思っていて。広告が新しい社会意識や文化を創るひとつになるなら、我々も子どもの成長に影響を与える仕事なんだな、なんて思ったり。成長過程で触れるコンテンツの中にも、広告は含まれてますし。漠然とした話ですが、「子ども」と広告についてはどう考えますか? 未来対談ということで、分かりやすく「子ども」というテーマを選びました。
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多田
広告って大人が作るもので。子どもが子どもらしくいてもらうには、広告に影響されて欲しくないなと思いますけどね。痛ましいというか。ま、これだけ蔓延しているから影響はなくはないよね。でも、洗脳する広告はイヤだな。
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武田
今の子どもたちはテレビだけでなく、YouTubeやTikTok、Instagram、あらゆるチャネルで広告に触れる。僕らの子どもの頃より広告に触れる機会は多いかもしれませんね。
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多田
何回も出てくるとそれが良い・面白いと感じたり、ある種洗脳になってしまう。できるだけそれは避けたいな。もしも、広告に触れても子どもたちのためになるとすると…。これは「分かりやすさ」のテーマにつながるんだけど、子どもたちにも分かるものは、つまらないなと思っていて。子どもって成長するものだから、感受性も含めて「なんだろう?」って思うことを大切にしたい。大人たちが純粋に楽しんでいるものかもしれないけど、まだ幼い自分にはよく分からないような。「なんかかっこいい気がする」みたいな憧れとか、背伸びしたい気持ちって成長につながると思うんだよね。
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武田
分かります、それ。確かによく分からないけど「なんかいいな」っていうのは、子どもの頃CMを見ていてしばしば感じることがありました。対象年齢が上のものとか、大人の渋い恋愛を描いたものとか、意味は分からないんですが、かっこいいという印象は残り、あとで意味が分かると二度と忘れなくなりました。
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多田
そうそう。先日、子どもが東大に進学したお母さんの話を聞いたんだけど、その子が小中学生の頃は100点のテストを持って帰ってもお母さんは喜ばなくて。60点だと「すごい!分からないことがあるって分かったから良かったね!」って喜んで子どもに言うんだそう。子どもって知らないことを知りたいって思わせないと。それが勉強や運動にもつながる。できないから頑張るんじゃん。だからCMでも広告でも「なんだろう」とか「分からないけど、なんか分かりたい」を大事にしたいですね。今、子ども向けのテレビ番組やマンガも分かりやすくなり過ぎている。もっと不可解だったり、ちょっと怖いでもいいけど、感受性の幅を広げてあげないと。
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武田
大人は、分かりやすいものを見せて、きちんと説明して「分かったよね?」と納得しているかもしれないけど、分かりきってしまったら、つまらない、その先がないのかもしれない。好奇心がくすぐられないわけですね。
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多田
よくCMの企画を出すとき、「これ、分かりづらくないですか?」って言われる。別にいいじゃんって! みんな「分かりやすい病」なんだよね。そんな世の中バカじゃないって。考えさせなよって。分かりやすいってそんなに大事だっけ? 分かりにくいことのほうが人間の成長にも大事だと思うけど。じゃなかったら、クリストファー・ノーラン監督の映画がこんなにヒットしない。みんな映画だったりカルチャーの中に、自分はちょっと分からないものが欲しいんだよ。全部が全部分かりたいじゃなくて、分かることで豊かになる。芸術ってそうじゃないですか、人の心に傷を付けるものだって。自分の中にないもので刺激を受ける。分かったら刺激じゃない。分からないものでもいいもの見たねってなれば世の中変わると思うんだけどね。学校の試験なら難しい問題出すのに、解けたら褒めるのに。なんで普通の生活でやらないのかって。親が子どもに教えるように、ビジネスでも「分かりやすく」をやってる。分かってるよ、これ水なんでしょ、水はね…って感じが、なんか人間をバカにしてるんだろうな。よくないよね。もうちょっと信用しないと。
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武田
多田さんのenduraのインタビューで「思っていることをストレートに伝えることはなるべくしたくない」とありましたが、とても共感しました。例えば歌の歌詞で「愛してる」「絆だよね」と言われても、知っているよってなる。昔、詩人の先生に文章を添削してもらっていた頃に、よく大きな言葉は使うな、物で事を描けと言われていました。「幸せは近くにある」と文章で書くよりも、幸せの『青い鳥』のようにチルチルとミチルがいくつもの国を旅して最後に家に帰ってくると、そこに青い鳥がいたというストーリーで描かれたほうが印象に残るし、考えさせられる。分かりやすく、そのまま言うことは誰にでもできるし、それで伝わったら苦労ないですね。
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多田
当たり前のことなんだよね。「愛」を伝えたかったら「愛」と言っちゃダメで。それは相手が掴むものだから、こちらが出しちゃだめ。見つけたときに喜びがある。クドカン(宮藤官九郎氏)が言ってたけど「愛って裏返しで出すもんでしょ」って。ストレートに言わず、違う言葉で。だから僕はクドカンを超尊敬してるんですよ。『池袋ウエストゲートパーク』のセリフも良かった。あれは、引きこもりになっていた中学時代の同級生の部屋に主人公のマコト(長瀬智也)が訪ねていったシーン。最後、帰るマコトに向かって「また、遊びに来てよ」と。そうしたらマコトは「今度はお前が俺ん家に遊びに来るんだよ」って。そこで「お前は友達だよ」なんて言ったらダサいじゃん。そういう意味を伝えるのに、どんなセリフで返せば伝わるか。友情が生まれたことは見ている人が気付くべきことで。受け身じゃなく能動的に、伝えたいところに相手の気持ちを持ってくるというか。
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武田
宮藤官九郎さんのドラマはおもしろいですね。多田さんのCMもストーリーやセリフがおもしろくて、妻夫木聡さんとか俳優の方がすごく活きているなと感じます。それと、今日はお話を伺っていて、広告も情報を与えて考えさせるというアプローチが大事なことにすごく気付かされました。人に認知や認識させるということは、簡単じゃないということですね。
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多田
あと最近思うのは、SNSで「いいね」が付きましたってあるじゃないですか。あれは単に見ましたってだけで、本当にグッときたかは分からない。何百万と「いいね」が付いても、一人も感動してないかもしれない。たぶん、握手みたいなもんで、それは手を見てくれましたってだけ。でも握り返してもらって握手なんでしょ? 握り返してくれたのが何人いるか分からないのに、何百万回「いいね」が付いただけで、うまくいってると見るのは違うのかなと。広告で分析するなら、ちゃんと手を握り返してくれた人を掴まないと分からないですよ。